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千葉地方裁判所 平成5年(ワ)2088号 判決 1997年2月26日

原告

井手渉外三名

右原告ら訴訟代理人弁護士

大野裕

生駒巌

被告

安藤昌由

尾花繁

右被告ら訴訟代理人弁護士

小松昭光

右訴訟復代理人弁護士

田中登

主文

一  被告らは、連帯して、原告井手渉に対し、金一二六八万九三一九円、原告井手政子に対し金一一五八万八八二六円、原告井手路子及び井手大助については各金六六万円、及びこれらの各金員に対する平成二年一一月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告井手渉及び原告井手政子に生じた費用は、いずれもこれを四分し、その三を同原告ら各自の負担とし、その余を被告らの連帯負担とし、原告井手路子及び同井手大助に生じた費用は、いずれもこれを九分し、その八を同原告ら各自の負担とし、その余を被告らの連帯負担とし、被告安藤及び被告尾花に生じた費用は、いずれもこれを八分し、その二を同被告ら各自の負担とし、その二を原告井手渉の、その二を原告井手政子の、その一を原告井手路子の、その余を原告井手大助の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは連帯して、原告井手渉に対し金五六二四万三二七〇円、原告井手政子に対し金四四九七万一八七八円、現行井手路子に対し金五五〇万円、原告井手大助に対し金五五〇万円、及びこれらの金員に対する平成二年一一月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、平成二年一一月一〇日午前八時二〇分ころ、千葉県船橋市馬込町八七五番地先交差点において発生した井手陽子が死亡した交通事故につき、井手陽子の父母及び姉弟である原告らが、事故を発生させた被告安藤昌由に対して民法七〇九条に基づき、また、被告尾花繁に対して自動車損害賠償保障法三条及び民法七一五条一項に基づき、それぞれ損害賠償を求めた事案である。

二  証拠等によって認められる事実等

1  被告安藤昌由(以下「被告安藤」という。)は、平成二年一一月一〇日午前八時二〇分ころ、千葉県道船橋我孫子線の千葉県船橋市馬込町八七五番地先交差点(以下「本件交差点」という。)を、自家用大型貨物車(以下「加害車両」という。)を運転して同市金杉二丁目方向から同市丸山五丁目方向に向かって直進中、折からこれと交差する道路の右側方向から同交差点を横断しようとして進入してきた井手陽子(当時一八歳。以下「被害者」という。)の運転する自転車(以下「被害自転車」という。)に本件加害車両を衝突させて、同人を自転車もろとも路上に転倒させる交通事故を惹起した(以下「本件事故」という。)。

(当事者間に争いのない事実、乙一、二、被告安藤本人尋問の結果)

2  被害者は、本件事故によって脳挫傷等の傷害を負い、直ちに船橋市内の船橋市立医療センターに収容されたが、平成二年一一月一三日午後四時三五分、同病院において右傷害のために死亡した。

(当事者間に争いのない事実)

3  被告安藤は、前記のとおり県道船橋我孫子線を船橋市金杉二丁目方向から同市丸山五丁目方向に向かって進行していたが、その際に、別紙のとおり前方には進行道路に対して北東方向から南西方向に交差する交差道路(以下「交差道路」という。)が存在し、本件交差点の南側の進行道路上には押しボタン式信号機のある横断歩道が設置されているうえ、本件交差点付近には進行道路を横断しようとしている学生がおり、そのうちの何人かの学生は実際に加害車両の前方進行道路を右側方向から左側方向に向かって横断していったことを確認していたし、さらに加害車両が本件交差点を通過するに際して交差道路右側から進行道路の対向車線に左折してくる保冷車様の車両(以下「関係車両」という。)があったために交差道路右側の見通しが一時的にも妨げられる状況となったのであるから、交差道路右側から進行道路を横断する者が存在する場合に備えて、前方左右を十分に注視することはもとより、右横断者の存在を確認した場合には直ちに適切な措置をとることができるように速度を調節して進行すべき注意義務があったのに右義務に違反し、漫然と制限速度毎時五〇キロメートルを超過する速度で加害車両を進行させ、折しも交差道路右側から被害自転車に乗って本件交差点を渡ってきた被害者に気付いて急制動の措置を講じたが間に合わず、加害車両の前部を被害自転車に衝突させる本件事故を惹起した過失がある。

(乙一、二、被告安藤本人尋問の結果)

(なお、原告らは、交差道路の幅員は極めて狭く、平日の午前七時から午前八時三〇分までの間は指定車・許可車や居住車両以外の通行が禁止されており、この道沿いに保冷車を使用する店舗もないことなどを理由に、本件事故当時、関係車両は存在しなかった旨を主張し、被告安藤は交差道路右側から横断してくる被害者に十分に気付くことができたのに、著しく前方注視義務に違反し、制限速度を大幅に超過する速度で加害車両を運転して本件事故を惹起したものであるからその過失は重大であるという。しかし、被告安藤の供述をもってしても関係車両の大きさを特定することはできないから、その大きさから推定して関係車両の存否を検討することはできないし、仮に原告らの主張するとおり関係車両が存在しなかったものであるとすれば、被害者からも左側から進行してくる加害車両の存在を充分に確認することができたはずであり、健康で聡明な一八歳の女性である被害者が、自らが横断しようとしている道路の左方向から進行してくる大型貨物車である加害車両の直前を、漫然と自転車に乗って横断し、本件事故に遭遇したとは考え難い。そして、このことは加害車両が進行してきた道路が直線道路で、被害者が横断しようとした地点から左方向の道路状況を充分に見通せる状況にあることからして、原告らが主張するように加害車両が高速度で進行してきたと仮定しても同様に考えられる。そうであれば、むしろ、被害者の左方向の視界が関係車両の存在により妨げられ、左方向からの車両に気付かずに被害者が本件交差点を横断したために本件事故が惹起されたと理解するのが合理的で、その意味において、この点に関する被告安藤本人の供述には信用性があるというべきである。《原告らは、被害者は左方から進行してくる加害車両の存在を当然に認識していたが、同車両が本件交差点手前の横断歩道に沿って引かれた停止線で停止するものと判断して横断を開始して本件事故に遇ったものであるから、被害者が加害車両の停止を信頼して道路の横断をしたことは正当な判断に基づくものである旨を述べている。しかし、被害者が加害車両の存在を認識していたのであれば、本件事故に際して事故を回避するための措置を採るのが通常であると思われるところ、本件事故後の加害車両の前面左側には被害者の左側頭部、左上腕、左下肢、自転車の傷痕が印象され、被害者は左側頭骨におおきな亀裂骨折が認められていたことからすると《甲三号証》、被害者が加害車両の存在に少なくとも衝突直前まで気付いていなかったことが推測され、そのうえ、乙一号証によれば、右停止線から本件事故の衝突地点までは約一四メートルほどの距離があり、時速五〇キロメートル以上の速度で進行する加害車両が右停止線で停止するためには更に二〇メートル以上手前から急制動の措置を採る必要があったと言うべきであるから、もし被害者が加害車両の存在に気付いていたのであれば、同車両が右停止線で停止する意図のないことを遅くとも被害者が加害車両の進行車線に進入する手前で知りえたと考えられること、加害車両の進行道路は交通量の多い県道であり、本件交差点の南側には押しボタン式の信号機と横断歩道が設置されていたものの、被害者の横断位置は横断歩道から二〇メートル以上北側であって、しかも右信号機は加害車両に対して青を表示していたものと認められ、このことを当然に認識できたはずの被害者において、原告らが主張するように同車両が前記横断歩道前の停止線で停止すると信頼できたとは到底認められない。こうしたことを総合すると、被害者が加害車両の接近を認識しながらあえてその前方を自転車に乗って横断したとは考え難いし、仮に、加害車両の存在を認識しながらあえてその前方を横断したというのであれば、かえって右行為自体が本件事故を発生させる大きな要因の一つであったと言わざるを得ないことになる。》)

4  被告尾花繁(以下「被告尾花」という。)は、加害車両を所有して同車を自己の運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条の責任を負うほか、被告安藤は被告尾花の被用者であって、同人の営む事業の執行中に本件事故を惹起したものであるから、民法七一五条一項に基づく損害賠償責任を負う。

(当事者間に争いのない事実)

5  原告井手渉は被害者の父、原告井手政子は被害者の母であるところ、右原告両名は本件事故によって生じた被害者の損害賠償請求権を、法定相続分に従い二分の一の割合により相続した。

(当事者間に争いのない事実)

6  原告井手渉及び原告井手政子は、自動車損害賠償責任保険から金二五一〇万六二四五円の支払を受けた。

三  争点

1  本件事故と相当因果関係を有する損害の有無及び額

《原告らの主張》

(一) 被害者(井手陽子)の損害

(1) 慰謝料(金五〇〇〇万円)

① 一般に交通事故を原因とする損害賠償請求訴訟の実務においては、損害を、ア 積極損害、イ 消極損害(逸失利益)、ウ 精神的損害(慰謝料)に三分し、各損害項目ごとの算定額を総計することによって賠償額を定めてきた(なお、この場合も最高裁昭和四八年四月五日判決によれば訴訟物は一つである。)。

しかし、このような算定方法によった場合には必然的に消極損害(逸失利益)が損害賠償額全体の多寡を左右する要因とならざるを得ず、被害者が未就労の幼児、生徒、学生、主婦、障害者及び老人などの場合には実収入がないため賃金センサスという統計上の数字によって逸失利益が擬制されてしまう結果、逸失利益の額は何よりも大切な生命の代償としてはあまりにも低額となって不合理なものとなっている。また、被害者が女性の場合には現実に存在する男女の賃金格差を反映してその逸失利益は男性に比して低額となる。そして、このような様々な矛盾は「補完的作用」を有するとされる慰謝料の額による調整では到底解消しがたい。したがって、このような矛盾を根本的に解消するための損害額の算定方法が検討されるべきであるところ、そのためには被害者である人間の生命の価値全体を損害として直截に評価する損害賠償額算定方法に改められる必要があると言うべきである。すなわち、被害者の生命が破壊された結果、同人とその遺族に生じた「財産的」・「精神的」な全ての損害を総合して一つの非財産的損害とみなし、この損害について裁判所が金銭評価を行い、適正な賠償額を算定すべきと考える。

原告らは、右のような観点に立ち、本件事故によって生じた一つの非財産的損害を「慰謝料」と言う概念で表示し、その合計額を控えめに算定して合計金一億一〇〇〇万円を請求する(被害者の損害金五〇〇〇万円、原告ら固有の損害合計金六〇〇〇万円の合計額)。

② 仮に、右①で主張する損害賠償額算定方法が採用できないとしても、被害者は本件事故により次のような損害を被った。

ア 逸失利益(金一億六八一五万二〇六九円)

被害者は、本件事故に遭遇しなければ高校卒業後に大学医学部に進学し、満二四歳で同学部を卒業後、少なくとも満七〇歳に至るまでの四六年間にわたり医師として稼働したであろうことは確実であるから、本件事故による被害者の逸失利益は、一九九五年版「賃金センサス(第三巻八〇頁)」による男性医師の平均年収額金一一九三万四六〇〇円に、本件事故時(満一八歳)から就労終期(満七〇歳)までの五二年に対応する新ホフマン係数25.2614から本件事故時(満一八歳)から就労始期(満二四歳)までの六年に対応する新ホフマン係数5.1336を差し引いた新ホフマン係数を乗じ、これに生活費控除三〇パーセントを前提に0.7を乗じた金額である金一億六八一五万二〇六九円が逸失利益となる。

イ 慰謝料(金五〇〇〇万円)

(2) 物損(被害自転車)(金五万円)

(二) 原告井手渉の損害

(1) 葬儀費用(金二九三万円)

(2) 慰謝料(金二五〇〇万円)

(3) 休業保障(金七三四万一三九二円)

休業期間は平成二年一一月一〇日から二八日までの一九日間で、原告井手渉の平成二年一月から七月までの平均月収入金三六九万六九三五円を前提に右一九日間の休業損害額を算出すると金二三四万一三九二円となる。

そのうえ、本件事故に伴い、原告井手渉が警察や検察庁及び裁判所等に行くために休業せざるをえないことが多々あり、これによる損害額は金五〇〇万円を下らない。

(4) 被害者の生育のために支出した費用(金五〇〇万円)

(5) 弁護士費用(金三五〇万円)

(三) 原告井手政子の損害

(1) 慰謝料(金二五〇〇万円)

(2) 被害者の生育のために支出した費用等(金五〇〇万円)

(3) 弁護士費用(金二五〇万円)

(四) 原告井手路子の損害

(1) 慰謝料(金五〇〇万円)

(2) 弁護士費用(金五〇万円)

(五) 原告井手大助の損害

(1) 慰謝料(金五〇〇万円)

(2) 弁護士費用(金五〇万円)

2  過失相殺の可否及び割合

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  争点に対する判断

一 原告らの損害に関する主張について

1 原告らは、交通事故による生命侵害を理由とする損害賠償請求訴訟において実務上採用されている損害額の算定方法は、特に被害者の収入の多寡によって賠償額が左右され、男女間の収入の相違が直ちに損害額に影響を与える結果となって不当であることを踏まえ、被害者とその遺族に生じた「財産的」・「精神的」な全ての損害を総合して一つの非財産的損害と見做し、この損害について裁判所が金銭評価を行って適正な損害額を算定すべきである旨を主張する。そこでこうした損害額の算定方法を採用することの可否及び合理性について検討する。

最初に、本件事故により被害者(井手陽子)に生じた生命侵害を理由とする財産上の損害と精神上の損害とは、それが同一の事故により生じたもので被侵害利益を共通にするものと認められる以上は、これに伴う損害賠償請求権としては一個であると解されるところ(最高裁昭和四八年四月五日判決参照)、生命侵害の場合における損害とは、被害者がその生命を失ったこと、すなわち生存していたならば得られたであろう人生を失ったことであるとし、こうした損害(非財産的損害)を金銭評価したうえで裁判所の裁量に基づいて損害額を算定すべきであるとの原告らの主張も、理論的には採用の余地があるものと解される。

2 そこで原告らが主張する右損害の算定方法の合理性について検討するに、原告らが損害と主張する生命自体の価値は極めて主観的なものであり、これを何らかの基準の下で客観的に評価することは困難なものであるうえ、被害者に生じた損害の回復を目的とする損害賠償制度の下で、被害者自身が死亡している場合にその失われた生命自体の回復を図ること、そのための損害額の算定方法を理論的に導き出すこともまた困難である。しかし、右のとおり被害者の生命自体の価値を客観的に評価し、被害者の失われた生命自体を救済することは不可能ではあるけれども、残された遺族の救済を図る必要は充分に認められるものであり、損害賠償制度もこうした遺族の救済を図るための機能を担うべきであるという観点から損害の公平な分担を前提として被害者に生じた損害の内容及び損害額の算定方法を考えるとき、遺族が被害者からどのような利益を得ていたか、あるいは得るべきであったかが一つの重要な要素となると言うべきであるから、その意味において、現在の実務が採用している損害額の算定方法(逸失利益については被害者の収入を基礎として損害額を定める方法)に合理性が認められることになる。

3 そして、原告らが主張する、被害者の死亡により被害者及び遺族に一つの非財産的損害(慰謝料)が生じるだけで、その額は裁判所が裁量に基づいて金銭的に評価すべきであるとの考え方を採用するとしても、結局、損害額(慰謝料の額)を客観的に評価して算定することは困難であり、右損害額を裁判所の裁量に基づいて金銭的に評価するといっても、右裁量は合理的なものでなければならないのであって、右合理性を基礎づける事情が明確にならなければ損害の算定が恣意的な印象を与え加害者の納得を得ることはできないし、裁判所がどのような事情を斟酌するかによってその額が場当たり的になって被害者の間でも不平等を生じかねない結果を招来することになるから、こうした状況の下で右見解を採用することも相当とは思われない。

(なお、原告らは、右の「慰謝料」の額は金一億円が相当であると主張し、その理由として、人の生命を慰謝料として換算する場合は金一億円が相当だというのが学者等の一致した考えのようであることや、昭和六三年に検察庁が交通死亡事故の加害者が民事で金一億円の賠償を支払うことを前提に起訴緩和を行ったなどの事実を挙げるけれども、そもそも金一億円という金額が社会通念上合理性を有する金額であるとも、学者等の一致した考えであるとも認め難く、また、民事訴訟における損害賠償制度は損害の公平な分配を前提に被害者に生じた損害を回復させるためのもので、犯罪の防止を目的とする制度ではないから、交通死亡事故を抑止するという観点から賠償額を決定すべきではないし、裁判所が賠償額を定めるにあたって刑事上の処分に関する検察庁等の考え方に左右されるべきものでもない《なお、本件のような交通死亡事故は加害者の過失に基づく行為によって惹起されるものであり、民事事件における損害賠償額を高額にすることが、直ちに事故の発生を抑止する効果があるとは考え難い。》うえ、右の金一億円という金額自体が被害者の年齢・収入等の経済状態・健康状態等の諸条件の相違を考慮せずに算出されるべき金額であるのかについても明らかではないから、結局、金一億円を損害額とすべきであるとの原告らの主張は、本件訴訟においても他の類似の事件においても何らの合理的な基準を提供できないものである。)

4 右のとおりであるから、結局、原告らの主張する損害及び損害額の算定方法によっては、生命侵害を理由とする損害賠償請求訴訟における損害に関する紛争を解決するための充分な基準及びその根拠を提供するには至っていないと言うべきである。

そしてまた、原告らの主張を前提とすれば、本件事故によって被害者らに生じた損害を個別具体的に損害項目として主張することなく、被害者の生命の喪失、同人と遺族の悲しみ、苦しみ等を総合して一つの非財産的損害とし、単に、被害者に生じた死亡に伴う消極損害(逸失利益)や精神的損害(慰謝料)を含む概念としての「慰謝料」を損害として請求する旨を明らかにしたうえで、損害額だけを特定して主張すれば損害の主張として足りることになるが、本件訴訟のように原告らにおいて右損害額が合理的である旨を基礎づける具体的な事由さえも主張しなくともよいというのであれば、当該訴訟において重要な争点の一つである本件事故と相当因果関係を有する損害の有無及び内容とその損害額についての相手方(被告)の防御権の行使を実質的に困難ならしめる結果となると言うべきであって弁論主義違反の問題を生じることにもなりかねないというべきである。

5 なお、原告らの右主張は、現在における交通事故損害賠償訴訟の実務が採用している、損害を、(1)積極損害、(2)消極損害(逸失利益)、(3)精神的損害(慰謝料)の三つに大きく分類し、各損害項目ごとに損害額を算定したうえでこれを総計することによって損害額を定める方法では特に逸失利益の算定に関し、被害者が未就労者の場合には実収入が少ないために賃金センサスという統計上の数字によって損害額が擬制されてしまう結果としてその額が余りにも低額となって不合理であるし、被害者が女性の場合には現実に存在する男女の賃金格差を反映してその逸失利益は男性に比して低くなる矛盾を生じていることを指摘し、これを是正することを目的としてなされたものである。しかし、右指摘にかかる矛盾が生じうることについてはこれを認めたうえで、そうした点に十分に配慮して損害額を算定する際に相当な考慮をすべきであるとしても(例えば、慰藉料の額を算定する中で斟酌するなど)、未成年者が、将来的にどのような職業に就き、実際にどの程度の収入を得るに至るかについては現実に検証すべき方法はないのであって、右の考慮の程度を越えて、将来的に、未成年者である被害者が右賃金センサスの平均賃金よりも高額な収入を得るであろうことや、女性である被害者が男性の賃金と同額以上の収入を得るであろうことを当然の前提としたうえで、賃金センサスという統計上の数字(平均賃金)を用いて損害額を算定することの不合理性を主張する原告らの主張は、結局、右前提において採用できないものである。

6 以上のとおりであるから、少なくとも現状においては損害及び損害額の算定方法に関する実務の取扱いを変更してまで、これとは異なる原告らの主張を採用することに合理性を認めることはできない。したがって、原告らは、本件事故に基づいて被害者に生じた損害の内容につき、被告である相手方が防御権の行使を十分になしうる程度に損害項目を個別的に特定して主張すべきである。

二  争点1について

1  被害者(井手陽子)の損害

原告らは、被害者の損害のうち「慰謝料」として請求する損害の内容は、逸失利益の損害と被害者の精神的苦痛を慰謝するための損害(慰謝料)であることをその主張上明らかにしているので、これらの損害の有無及び額について検討する。

(一) 逸失利益

証拠(甲一八、二一、二二、原告井手渉及び井手政子の各本人尋問の結果)によれば、本件事故当時、被害者は県立船橋西高等学校三年に在学する一八歳(昭和四七年九月二五日生)の女子であり、医師である父親の影響から高校入学後は大学の医学部に進学すべく努力をしてきたもので、その家庭環境や高校における被害者の成績等に照らすと、本件事故に遭遇しなければ翌年四月には大学に進学していたものと推認される(ただ、右のような被害者の家庭環境や学業成績等の諸事情を考慮しても、被害者が大学の医学部に進学したうえで、さらに医師国家試験に合格して医師になるであろうことまで推認することは困難である。)。

したがって、右を前提に被害者の逸失利益を算定すると、被害者の収入については同人が未就労者であることを考慮して、平成六年賃金センサス第一巻第一表の、産業計・企業規模計・女子労働者の新大学卒の全年齢の平均賃金である年四三三万六九〇〇円の収入を少なくとも取得できたものと推認し、これを前提に、本件事故時(満一八歳)より就労終期(満六七歳)までの四九年に対応するライプニッツ係数18.1687から、本件事故時(満一八歳)より就労始期(満二二歳)までの四年に対応するライプニッツ係数3.5459を差し引いたライプニッツ係数14.6228を乗じ、これに生活費控除三〇パーセントを前提に0.7を乗じて逸失利益を算定すると金四四三九万二三三四円となる。

(二) 慰謝料

被害者が本件事故で死亡したことに伴う精神的苦痛を慰謝するための慰謝料額としては金一二〇〇万円が相当である。

(三) 原告井手渉及び原告井手政子は、本件事故により被害者に生じた損害を填補するために自賠責保険から金二五一〇万六二四五円の支払を受けたことを自認しており、被害者に生じた右各損害金合計金五六三九万二三三四円から右受領額を控除すると金三一二八万六〇八九円となる。

(四) 物損(被害自転車)

乙一号証によれば、被害自転車は本件事故により、サドル及びハンドルがそれぞれ破損したことが認められるが、同自転車の購入時期及び購入金額についてはこれを明らかにする証拠はない。

そして弁論の全趣旨に照らすと、被害自転車の破損に伴う損害は金一万円を越えないものと認められる。

(五) 以上のとおりであるから、被害者に生じた損害は自賠責保険により填補された部分を控除すると金三一二九万六〇八九円であり、原告井手渉及び原告井手政子は被害者に生じた右損害を各二分の一(各金一五六四万八〇四四円)の割合により相続した。

2  原告井手渉の損害

(一) 葬儀費用

甲一号証及び弁論の全趣旨によれば、原告井手渉が被害者の死亡に伴う葬儀費用として合計金二九三万円を支出したことが認められるが、右のうち金一二〇万円の範囲で本件事故と相当因果関係を有する損害として認められる。

(二) 慰謝料

原告井手渉は、自己の未成年の娘で本件事故当時に同居していた被害者が、本件事故に伴って死亡したことにより多大な精神的苦痛を受けたことは明らかで、これを慰謝するための慰謝料の額としては金二〇〇万円が相当である。

(三) 休業損害

証拠(甲一、原告井手渉及び原告井手政子の各本人尋問の結果)によれば、被害者が本件事故に遭遇したことにより同人の父である原告井手渉は精神的ショック状態に陥ったこと、同人は医師として他人の生命に関係する医療行為に従事していたが、こうした精神状態のもとで業務を継続することが困難となったために平成二年一一月一〇日から同月二八日までの一九日間、右業務を休業せざるを得なかったこと、同人の平成二年一月から七月までの総収入額から必要経費を控除した残額は金二五八七万八五四六円(平成二年度所得税申告額)であり、これを前提に一か月の実所得金額を算出すると金三六九万六九三五円となることが認められる。

ところで、被害者が原告井手渉の実娘であることに照らして、同人の右休業日数のうち被害者の死亡日の翌日から五日間を本件事故と相当因果関係がある休業日数として認めるのが相当であるところ(なお、右五日の日数は公務員がその子の死亡に伴って行使できる特別休暇日数に相当する。)、右の一か月の実所得金額によれば、この期間の休業損害は金六一万六一五五円となる。

また、被害者が本件事故に遭遇した平成二年一一月一〇日から死亡するに至った同月一三日までの四日間の休業損害については、付添看護費相当額の範囲で本件事故と相当因果関係を有する損害と認めるのが相当であり、同費用額は一日につき金四五〇〇円を下らないものと認められるから、右期間内の休業損害は金一万八〇〇〇円となる。

なお、原告井手渉の右期間を越える休業損害の請求は本件事故と相当因果関係を有するものとは認め難く、また、これを損害と認めるに足りる証拠がないものと言うべきである。

(四) 被害者の生育のために支出した費用

原告井手渉は、被害者の死亡によって、原告井手渉が被害者の生育のために支出した出産費用、学費及び生活費等が全て無に帰したものとしてその内金五〇〇万円の支払を請求するが、たとえ、被害者が本件事故によって死亡したとしても、これらの費用は被害者が一八年間を生き抜くための貴重な費用として支出されたもので、それぞれの費用が被害者のために支出された際にその目的を充分に達成しているものであるから、結局、本件事故と相当因果関係を有する損害であるとは認められない。

(五) 以上のとおりであるから、本件事故により原告井手渉に生じた固有の損害賠償金は金三八三万四一五五円となる。

3  原告井手政子の損害

(一) 慰謝料

原告井手政子は、自己の未成年の娘で本件事故当時に同居していた被害者が、本件事故に伴って死亡したことにより多大な精神的苦痛を受けたことは明らかで、これを慰謝するための慰謝料の額としては金二〇〇万円が相当である。

(二) 被害者の生育のために支出した費用

前記2(四)と同様の理由から、本件事故と相当因果関係を有する損害であるとは認められない。

4  原告井手路子の損害

(慰謝料)

原告井手路子は、本件事故当時に同居していた妹である被害者が、本件事故に伴って死亡したことにより多大な精神的苦痛を受けたことは明らかで、これを慰謝するための慰謝料の額としては金一〇〇万円が相当である。

5  原告井手大助の損害

(慰謝料)

原告井手大助は、本件事故当時に同居していた姉である被害者が、本件事故に伴って死亡したことにより多大な精神的苦痛を受けたことは明らかで、これを慰謝するための慰謝料の額としては金一〇〇万円が相当である。

三  争点2(過失相殺の可否及び割合)について

1  前記認定事実によれば、本件事故が被告安藤の過失に基づいて惹起されたことが認められるが、被害者においても、優先道路を横断するに際しては右方向はもとより左方向からの進行車両がないことを充分に確認したうえで、安全を確保して道路を横断すれば本件事故を未然に防ぐことができたと言うべきであるところ、関係車両が存在したために左方向への見通しが妨げられた状態で、左方向から接近してくる加害車両に事故直前まで気付かずに、進行してくる同車両の前方を自転車で横断しようとして本件事故に至ったものであるから(なお、原告らが主張するとおり、仮に関係車両が存在していなかったとすれば被害者は加害車両の存在に容易に気付くことができたはずであるし、同車両の存在に気付いていたならば、加害車両が進行してくる前に道路を横断することができるものと軽信し同車両の直前を横断して本件事故を惹起したことになる《ところで、本件事故の際における加害車両の速度に関して、これを算定する場合の拠り所となる客観的な証拠としては乙一号証の実況見分調書記載の同車両のスリップ痕しかないところ、右スリップ痕の長さを前提に同車両の速度を算定すると時速五〇キロメートル前後であったことが認められ、他に、原告らが主張するような制限速度を大きく超過するような速度で加害車両が進行してきた事実を認めるに足りる証拠はない。》。)、右過失を被告らに対する損害賠償額の算定にあたって斟酌するのが相当であり、右過失の程度に照らし、その過失割合は四割とみるのが相当である。

2  そうすると、被告らは、原告らの各損害額から四割を控除した残額(原告井手渉は金一一六八万九三一九円、原告井手路子は金一〇五八万八八二六円、原告井手路子及び原告井手大助は各金六〇万円)について損害賠償義務を負う。

四  弁護士費用

原告らは、本件訴訟の提起及び遂行を原告代理人に委任して行わせたことは本件記録上明らかである。そして、本件訴訟の請求額、認容額、被告らの対応と本件訴訟の難易等の諸事情を考慮すれば、本件事故と相当因果関係を有する損害と認められる弁護士費用額としては、原告井手渉及び原告井手政子が各金一〇〇万円、原告井手路子及び原告井手大助が各金六万円と認めるのが相当である。

五  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、原告井手渉については金一二六八万九三一九円、原告井手政子については金一一五八万八八二六円、原告井手路子及び原告井手大助については各金六六万円、及びこれらの付帯請求の範囲で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官木納敏和)

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